第85回凱旋門賞

つい先ほどレースが終わり、日本競馬の期待を背負って参戦したディープインパクトは残念ながら3着に終わりました。

凱旋門賞>◇1日=仏ロンシャン◇G1◇芝2400メートル◇出走8頭 ディープインパクト(牡4、栗東池江泰郎)は3着と敗れた。好スタートから先行集団につけ直線ではいったん先頭に立ったが、最後は伸びを欠き2頭にかわされた。武豊騎手は「残念ですね」と話した。 勝ったのは3歳馬のレイルリンク(牡3)、首差の2着にプライド(牝6)、ディープインパクトはさらに半馬身差離されての3着だった。

◆◇◆◆第85回凱旋門賞・結果◆◇◆
 1着 レイルリンク    牡3 56  2.31.7
 2着 プライド      牝6 58  クビ
 3着 ディープインパクト 牡4 59.5 1/2馬身
 4着 ハリケーンラン   牡4 59.5
 5着 ベストネーム    牡3 56
最後の直線200mでは堂々先頭に立ったものの、そこからいつもの伸びを欠いて残り50mで3歳馬のレイルリンクとプライドの2頭に交わされ力尽きた。
昨年暮れの有馬記念は予想外の先行策に出たハーツクライを捕えられなかった、いわゆる「差し馬の負けパターン」で「相手が上手く乗った。こういうことは競馬にはままある」と納得できる敗北でしたが、今回は初めて後ろから来る馬に直線で差されての敗北。「空を翔ぶ」とまで形容された圧倒的な末脚の破壊力を、全く不利を受けない状態で発揮できぬままに終わったことは、関係者を初め、鞍上の武豊騎手も相当なショックを受けたでしょう。
どんなレースの後もインタビューには冷静に答える武豊騎手が、追いすがるマイクを振り払うようにただ一言「残念です」とだけ言い残して検量室に消えていった姿が、その「衝撃」の大きさを物語っているようでした。
しかし、ココで残念な気持ちに沈んでいるだけでは今回の敗戦で得られた貴重な教訓が無駄になってしまう。負けたときは敗因を正確に分析することが、次への1歩に繋がるわけですから。
自分なりにいくつか項目を挙げてみると…
    1. 凱旋門賞」は斤量の軽い3歳馬に有利
    2. ディープインパクトの「血統背景
    3. レース本番に臨む「過程」と「体制
    4. 実際の「レース内容
まず凱旋門賞というレースを語る上で、そのレース傾向を考慮しないわけにはいかない。
凱旋門賞古馬59.5キロ、3歳馬56キロ(牝馬1キロ減)と斤量ハンデが3.5キロもある。日本であればちょっとしたハンデ戦並みだ。これは3歳馬の参戦を促す意味で設定されているのだが、この斤量差がモロにレースに反映している。
1990年以降の歴史を見ても古牡馬で凱旋門賞を制したのは、1992年のSubotica(仏・牡4)、2001年のSakhee(米・牡4)、2002年のMarienbard(愛・牡5)のわずか3頭しかいないのだ。そのぐらい今の古牡馬にとって「凱旋門賞を勝つ」というのは至難の技なのである。
また付け加えるならば、59.5という斤量はディープインパクトにとって未体験の重量(これまでは58キロが最高)。馬体重440〜450キロ台とそれほど大きくない馬体のディープインパクトにとっていきなりの1.5キロ増は相当キツイ負担だったと思われる。
次にディープインパクトの内包する血統的な部分を分析してみよう。
ディープインパクトの母*ウインドインハーヘアアイルランド生まれで現役時代は欧州で走り、ドイツのGⅠアラポルカルを勝っている*1。その父Lyphardはヨーロッパの短距離戦で活躍し、種牡馬としてもフランスとアメリカ両方でリーディングサイヤーに輝いている名馬。母の父Bustedは英キングジョージの勝ち馬で、種牡馬としては英セントレジャーを制したBustedなど長距離戦に強い産駒を多く残している。*ウインドインハーヘアは、欧州競馬でも問題のないスタミナの持ち主だが、和合性のある父Lyphardの影響からか、よりスピードのある種牡馬の方が相性としては良いらしい。
で、ディープインパクトの父として選ばれたのが言わずと知れた大種牡馬*サンデーサイレンスなのだが、これがまたコレデモカというくらい、アメリカ土着の血統なのである。産駒の傾向としてはスピードと瞬発力でより優れているものが多く、持続力(スタミナ)を要求されるレースには比較的弱い。日本では遅いレースの流れ=最後の瞬発力勝負になりやすいからたとえ長距離レースであってもスタミナ面をカバーできているのだが、それもスピード重視の短く刈り込まれた芝があってこそ。欧州伝統の深く重い芝に対応するのはやはり難しい血統なのだ。
逆に言えば凱旋門賞を勝つような馬が日本のジャパンカップを制するには、相当のスピードが必要になる。過去何頭もの凱旋門賞馬がジャパンカップに挑戦してきたが、1988年の*トニービンが5着、1996年の*エリシオが3着、近年の欧州最強と言われた1999年のMontjeu*2でさえ4着に敗れ*3、といいところまで来る馬はいるのだが、勝利は未だ手にしていない。
レースに求められている馬の資質が根本的に違うのだから、母の父に欧州最高のリーディングサイヤーSadler's Wellsを持つ*エルコンドルパサーの好走はなんら不思議ではないが、アメリカや日本に向いたスピード色濃いディープインパクトキングジョージに挑戦したハーツクライが欧州の深い芝に真っ向勝負を挑んで共に3着に入ったというのは、実はとても驚愕すべきことなのである。恐るべきは*サンデーサイレンスの血。今さらながらに死亡してしまったのが悔やまれます。
次に今回のディープインパクト凱旋門賞出走までの過程を見てみよう。
6/25に宝塚記念を圧勝したあと、8/9にフランスへ移動。ソコから約2ヶ月間現地滞在して、前哨戦を挟まずにぶっつけで挑戦した。トータルでは3ヶ月間レース間隔が開いたことになる。これは、ディープインパクトをフランスの環境に充分慣れさせることと、本番に向けて馬の調子を整えることを最優先したことが理由であるが、果たしてこれでよかったのだろうか?
まず凱旋門賞には「レース間隔が3ヶ月以上開いた馬が勝った事が無い」というデータがある。もちろんそれは「たまたまそういう結果になっている」だけなのかもしれないが、例え「たまたま」であっても、ある程度の数が溜まってくればそれは信頼に足るデータとして見たほうが良い。
関係者を含め、ディープインパクトの今までに例の無い次元を超えた強さを目の当たりにしてきた我々日本人の多くは「ディープインパクトが負ける姿」というのを想像しずらいようになっていた。「ジンクスだろうがなんだろうが、俺たちのディープにはそんなもの関係ネェよ!」と。だが今回の敗戦で懸念されていたデータに見事に嵌まってしまった。これは彼もまた「世界の中では日本で良績のある1サラブレッドに過ぎない」ということだ。ましてディープインパクトは前に馬がいれば必ず抜こうとする類まれな闘争心の持ち主であり、過去にも今まででは考えられないような不利を克服して勝って来た馬。ぶっつけにしたことで確かに落ち着いてレースを進められるようにはなったのかもしれないが、あの瞬発力に長けた馬が叩き合いの末に差し負けたという事実を考えると、相手が強かったにしても、メンタル面で今一歩仕上げが足りてなかったのかも知れない。
しかしだからといって「エルコンドルパサーの時のように前哨戦を叩いていれば勝っていた」なんてことは言えない。前哨戦を走ればそこで故障することだってありえるわけだし、後ろ脚に爪に持病を抱えているディープインパクトにとってはレース後のダメージも心配だ。あくまでディープインパクト陣営の狙いは「凱旋門賞を勝つこと」であって、そこに行くまでの過程が評価される訳じゃないのだから。
ディープインパクト程の力を持ってしても、ぶっつけで挑戦してあっさり勝てるほど伝統ある欧州競馬は甘くは無い」
そのことを改めて知っただけでも今回の挑戦には価値があった、と自分では思っています。
最後にレースをVTRで振り返ってみると、久々の実戦だったディープインパクトはやはり多少気が急いていたようだ。絶好のスタートを切ったことで前目の競馬になったが、これは本来のディープインパクトの競馬ではない。前にライバル達を置いて闘争心を煽り、爆発的な末脚を引き出す。スマートなレース運びを求める現代競馬とは違った異端の走りが彼の持ち味であり強さなのだ。何の不利も無い優等生的なレースだったが、かえってそれがディープインパクトの燃える心を抑え込んでしまったのではないだろうか?
その影響もあって直線での仕掛けが鞍上の武豊騎手が思っているよりも少し速くなってしまったように見える*4NHK解説者だった岡部幸雄氏が思わず「まだだ!まだまだっ!」と解説を忘れて口にしてしまったことにもそれが窺える*5。氏は現役時代何度もヨーロッパに遠征してタイキシャトルでフランスGⅠを制したり、凱旋門賞での騎乗経験もあるだけに、ロンシャンの馬場は誰よりも良く知っている。
そして鞍上の武豊騎手も「少し早いかな?」ってことは解かっていたと思います。でもライバルと思っていたハリケーンランシロッコの手応えが悪いし「ディープならここからスパートしても最後まで伸びる」という自信もあったでしょう。そして少なくともその判断は、ハリケーンランシロッコに先着したのですから決して間違っていなかったと思います。
ところがその淡い期待とはウラハラにディープインパクトはついに最後まで飛べなかった。直線で外側から馬体を合わされるケースも初めてだったし、負担重量も相手のほうが軽い。無論どんなに斤量に差があろうが日本にはディープインパクトの更に外から仕掛けられる馬など存在しないわけで、そういう馬があっさり出てくること自体、世界はまだまだ広いということ。
レース前は世界的な名調教師A.ファーブルが仕掛けた「第3の矢」でしかなかったレイルリンクだが、この一戦において、第1回ジャパンカップを制した「鉄の女」メアジードーツ天皇賞キョウエイプロミスの命をかけた疾走を火の出るような叩き合いの末に退けたアイルランドの女傑・スタネーラ、当時の2400mの世界レコード「2.22.2」でアイドルホース・オグリキャップに煮え湯を飲ませたオセアニアホーリックス、そのレコードを16年ぶりに更新した大英帝国アルカセット…彼らと同じように「日本の誇りであったディープインパクトを力で沈めた馬」として日本の競馬ファンに未来永劫に語り継がれる1頭に名を連ねることだろう。
父Dansiliは、シャトル種牡馬の先駈けとして活躍し日本で種付けを行なったこともある*ディンヒルの息子。現役時代14戦してGⅠには手が届かなかったがマイル〜2000mを中心に一線級で活躍した。
母Docklandsの父は、日本では女傑*ヒシアマゾンの父として有名なTheatricalの名前が。血統的に日本のスピード競馬でも通用しそうな感じもするので、今度は逆にジャパンカップに挑戦してくれたら面白いのだけどねー。

*1:実はこの時、お腹の中には父*アラジの子供がいたらしい。日本では考えられないですね!

*2:前年にジャパンカップを4歳で制し、勇躍凱旋門賞に挑戦した*エルコンドルパサーを叩き合いの末に2着に下す。当時は「あの強かった*エルコンドルパサーを負かした馬がジャパンカップに参戦してきたのだから、ついにジャパンカップ凱旋門賞馬が掻っ攫うんじゃないか?」とかなり話題になったものだ。

*3:Montjeuを破ったのは*エルコンドルパサーと同期の日本ダービー馬、*サンデーサイレンス産駒のスペシャルウィークだった。4歳になった*エルコンドルパサーが海外に対戦相手を求めたことで一度も直接対決が行なわれることなく同馬が引退したため、日本のファンにとっては「見てみたかった幻の対決」として知られる。

*4:TV朝日を見ていたら、レース後のオリビエ・ペリエ騎手にインタビューしてて「ディープは仕掛けが早かった。フランスではアソコで仕掛けてはダメだ」と証言しているシーンがあった。

*5:このシーン、有馬記念の「ライアン!」のセリフで有名な競馬の神様・故大川慶治郎氏を思い出さずにはいられませんでした(笑)