いつか来るとは思っていたが…

昨日俳優の丹波哲郎(本名:丹波義隆)さんが肺炎で亡くなったそうだ。

映画「砂の器」やテレビドラマ「キイハンター」などで知られる俳優の丹波哲郎(たんば・てつろう、本名・正三郎=しょうざぶろう)さんが、24日午後11時27分、肺炎のため亡くなった。84歳だった。
告別式は30日正午から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。連絡先は杉並区西荻北4の6の2の丹波哲郎オフィス。喪主は長男で俳優の義隆(よしたか)氏。
中央大学卒業後、新東宝に入社し、1952年にギャング映画「殺人容疑者」でデビュー。長身と彫りの深い顔で悪役として注目され、61年の今村昌平監督「豚と軍艦」のやくざ役で存在感を示した。
その後も、篠田正浩監督「暗殺」、小林正樹監督「怪談」、佐藤純弥監督「組織暴力」など時代劇から現代劇まで幅広く活躍。中でも74年の野村芳太郎監督「砂の器」では、事件を解明していく人間味豊かな刑事役を好演した。最近では2000年の山田洋次監督「十五才・学校(4)」の老人役で演技派ぶりを発揮。豪快な中にもどこかとぼけた味のある演技が絶妙だった。 また、大学在学中にGHQ(連合国軍総司令部)の通訳を務めたほどの語学力を生かして、「第七の暁」「007は二度死ぬ」など外国映画にも出演した。
一方、テレビ草創期からドラマにも精力的に出演。時代劇の「三匹の侍」や、アクションシリーズの「キイハンター」「Gメン75」などで親しまれた。 死後の世界にも興味を持ち、多くの著作があるほか、89年には映画「丹波哲郎大霊界・死んだらどうなる」を製作、出演した。昨年2月に体調を崩して入院。同7月に都内で行われた「砂の器 デジタルリマスター版」の上映会に出席したが、すっかりやせた姿に観客からも体調を心配する声が上がっていた。

自分の中では「Gメン'75で倉田"ドラゴン"保昭を従えるエライ人」であり「死後の世界の語り部」であり、気のいいおじいちゃんってイメージなんですが。
晩年、霊界について語りだしてマスコミに取り上げられたときに「この人、自分が死ぬ時にどういう言葉を残すんだろう?」なんてぼんやり考えたりしたんですが、本当にその時がきちゃいました。
「自分には見えている」と公言していた世界にはちゃんと辿り着いたんでしょうか?

【関連サイト】
公式サイト 丹波哲郎の霊界サロン