メジロマックイーン逝く

メジロマックイーン急死
希代の名ステイヤーメジロマックイーン(牡19)が3日午後5時15分に、供用先の社台スタリオンステーション荻伏(北海道浦河町)で、心不全のため死んだ。現役時代は父子3代による天皇賞(春)制覇などG1・4勝、史上初の賞金10億円獲得など、数々の話題を提供したスターホースだが、早すぎるお別れとなった。  関係者にとっても予期できなかった死だった。この日も通常通り種付けを行えるほど元気だったマックイーンの状態が急変したのは、午後5時すぎ。3頭目の種付けを終え、馬房に戻った直後だった。芦毛の馬体が突然けいれんを起こした。そのまま座り込むと、5分ほど苦しんだ後、静かに息を引き取った。皮肉にもこの日はマックイーンの19回目の誕生日。「種牡馬になってから1度も病気になったことがないぐらい。医者いらずの元気いっぱいな馬だった。今日、馬房に戻るときも足取りは軽かったのに…」。最期をみとった林勲場長(64)も驚きを隠せなかった。  兄メジロデュレンの活躍もありデビューから注目を集めたが、頭角を現しはじめたのは3歳秋になってから。豊富なスタミナを武器に菊花賞でG1初勝利を果たした。古馬になると武豊騎手とコンビを組み、一気にスターホースの道を駆け上がった。91年天皇賞(春)では祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続いて、父子3代の天皇賞制覇を達成。翌年もあっさりと春の盾を連覇した。3連覇を狙った6歳時はライスシャワーの2着に敗れたが、続く宝塚記念でG1・4勝目をゲット。最終戦となった京都大賞典では2分22秒7のレコードタイムでスピード能力の高さを証明するとともに、JRA史上初の10億円ホースとなった。華やかな経歴だけではなく、91年天皇賞(秋)では1着入線ながら進路妨害で18着に降着の悪夢も経験した。  同期のメジロライアン、ホワイトストーンや、メジロパーマートウカイテイオーなど強力なライバルの渦巻く時代の中で、強烈な個性を発揮し続けた。94年に種牡馬として供用されてからも、常にファンの注目を集めた。日本の競馬の一時代を築いたスターホースは静かな眠りについた。

現役時代は菊花賞勝ち、親子3代天皇賞制覇を始め稀代のステイヤーとして鳴らし、種牡馬として余生を送っていたメジロマックイーンが亡くなった。
現役時代はその強すぎる磐石のレース振りが好きではなかったが、'93天皇賞(春)ライスシャワーとの一騎打ちに敗れてからは、そんなこともなくなった。
昨今のスピード競馬全盛の世の中で、スタミナ兼備の純日本産種牡馬として期待されたが、なかなか産駒に恵まれず、後継種牡馬を出せずに終わってしまったのは非常に残念。
血統的にも既に世界からは姿を消しつつある異系ラインの出。
また日本の陽が消えてしまったナァ…