W杯 日本 1-4 ブラジル

現状のチームとしての実力差を考えれば妥当な結果でしょう。
かりにも相手は前回優勝国でFIFAランク1位。とにかく勝てば…というならともかく、点差をつけて勝てる相手ではない。
コンフェデでの2−2の結果など本番では全く無意味だったことを、ようやくエセサポーターたちも解かったことだろう。
でもまぁ、予選2試合を完封で来ているチームを相手に流れの中から先取点を取れたのだから、その部分は評価していいと思う。もっともブラジルが多少手を抜いていたのも否めないが…
ともあれ。今回のグループリーグを通して思ったのは、個の技術をベースにした組織サッカーが出来なければ、トップレベルの集まる本大会では勝ち抜けないということ。
今年は「ロナウジーニョのW杯」などと言われているが、1人のスターが全てを変えるというのは、現代サッカーでは殆ど不可能だ。現に件のロナウジーニョであっても全ての場面を打開できるわけではない。周りとの連携があって初めて個のテクニックも生きてくるのだ。
今回の日本代表に欠けていたのはその部分だと思う。個の能力は個人差があれど皆それなりに持っている。だがそれをチームとして連携させるところまで成熟させることは出来なかった。
ジーコ監督の「選手に自由を与える」という哲学は、決して間違っていなかった。世界基準ではそれが当たり前なのだから、まずそれを目指そうとするのは当然だ。が、クラブレベルのように選手同士が長く同じ時間を共有できるならば良いが、なかなか一緒に居る時間をとれない代表チームで、日本の選手にそれを求めるには、まだ少し時期が早かったのかもしれない。実際、ジーコ監督は鹿島総監督の経験しかなく、代表クラスを受け持ったのはこれが初めて。「選手の立場を理解する良い指導者であった」と思うが「代表レベルで即勝てるだけのノウハウ」は持ちえていなかった*1
オーストラリア戦。相手が最後にパワープレーで来るのが判っていながら選手交替で後手に回って結果的に負けた。ヒディング監督が勝負処の見極めを間違えなかったのとは対照的だ。ジーコもまた「監督としての世界経験」が不足していたのだから、当然の帰結ではあるが。
しかしジーコの口に出さない意図を正確に理解していたのは中田英寿唯1人だった。
彼はクラブレベルでも代表レベルでも、現在の世界のトップレベルがどのように動いているのかを実体験として持ちえている人材である。
世界では監督は相手を分析し戦術を与えるだけで、試合になれば選手それぞれが判断して能動的にプレーするしかない。中田英が試合後に「個々がチームとして考えてプレーすること」の大切さを度々繰り返していたことを思い出して欲しい。そして「このチームには世界で戦って勝ち抜けるだけの力はまだ無い」と言っていた事も。
彼は「世界の目」で観た時に日本のチームレベルがどの位置にあるのかを正確に捉えていた。しかし、周りの殆どの日本代表選手は、アジアレベルまでは実感として持っていても、本当の世界レベルで戦って居る訳ではない。中村俊輔や高原など比較的長く世界で活躍してる選手も居るが、トップレベルの経験という意味では彼等でさえまだ足りていないのが現状だ。
同じ時間を共有できる期間がより少ない代表レベルでは選手一人一人が(せめて意思だけでも)世界基準に達していなければ世界で勝ち抜けるチームにならない。彼はジーコの意図を理解し、周囲に(マスコミを含めて)繰り返しそれを説いてきたが、たった1人でできるものではない。結果、低い意識レベルに合わせる事を嫌う中田英が終始不機嫌だったのもよく頷ける。
「世界では厳しいのが当たり前」なのだから、簡単に「勝てる」なんて不用意で安易な質問や発言をしてくるマスコミに対して中田英寿が手厳しく返すのは、「自分だけで『これが世界なんだ』と叫んでいても届かない。選手もマスコミももっと高いレベルでサッカーを見てくれないと日本(代表)は成長しない」と終始考えているから。
だからこそジーコ中田英を常に代表の背骨に置いてきた。自分の考えを唯一実践できるかもしれない日本選手として。
彼もそれを理解し代表チームの意識を早く世界レベルまで引き上げるべく骨身を削って奮闘してきた。
しかし、結果からすれば今大会ではそれは実らなかった。
哀しいかな現在の中田英寿の実力でさえ、世界基準では低い位置にあると言わざるを得ないのだ。世界の急速な進歩に日本は付いていけなかった。ただ、それだけだ。

今回グループリーグで1勝も出来ないで終わったことで、多くの人は改めて「世界は近いように見えて遥に遠い」と実感したのではないか。
だがそれでいいのだ。前回大会の好結果で浮かれたままになっていた日本には、負けることで「本当の世界レベルとそこで戦うことの意味」それを感じることこそ今大会では必要だったのだから。
特に中田英以外の海外に出ている選手や海外移籍を視野に入れている選手は、世界レベルの中に自分を置くことが如何に重要か、よく解かったことだろう。(実際に中村俊輔は同様のコメントを残しているが「今さら気付いても遅ぇよ!」って感じだけどね)
痛みと悔しさを実感として持ち帰ってくる代表選手がたくさん居ることは、今後の日本にとっても大きな財産だ。
下を向く必要は無い。屈辱を怒りにかえて成長する日本代表に期待したい。

*1:ジーコ監督の前任であるトルシエ元監督は、いくつか用意した戦術パターンに選手を当てはめることによって個の力を発揮する範囲を限定しその中でプレーさせた。だから2002年の大会のようにホーム開催であったり、パターンに嵌まった時は強いが、相手がそのパターンから外れていた場合に、システムをちょっと弄ったら選手が戸惑ってしまい全く対処できないという弊害もあった。2002年の決勝トーナメント1回戦対トルコは、それまでの2トップではなく1トップに変えたが、そのことが選手間の呼吸やリズムを微妙に狂わせた結果だ。ジーコ監督はそれを見ているから、厳しい世界で戦うには、よりオールラウンドなチームを育てたいと考えただろうことは容易に想像できる。